世界遺産誕生の歴史

世界遺産条約が生まれた背景

第二次世界大戦の後、武力紛争等の状況下でも文化財等に対する破壊行為を防止することが求められるようになり、ユネスコで1954年ハーグ条約が採択されました。

その後、1960年にエジプト政府がナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建造することになり、流域にあるアブ・シンベル神殿などのヌビア遺跡が水没してしまうことが懸念されました。

そこでユネスコが中心となってヌビア水没遺跡救済キャンペーン展開し、60カ国の支援によってアブ・シンベル神殿を水没しない高さの丘まで移動させるなどの遺跡救済を行いました。

これがきっかけとなり、国際的な組織運営によって歴史的価値のある遺跡や建築物を開発から守っていこうという動きが生まれました。

自然保護運動と文化保護運動の融合

また他方では、優れた自然環境を1872年に世界で初めて国立公園に指定するなど以前から自然保護意識が高かったアメリカが中心となり、ユネスコの国際自然保護連合(IUCN)のもとで国際的な自然遺産保護の条約案の作成が進められていました。

同じくスウェーデンでも、自然遺産保護を推進するための条約作成を推進するため、1972年にストックホルムで国連主催の人間環境会議(ストックホルム会議)を開催することを決めました。

このふたつの流れを受けて、当時ユネスコ事務局長であったルネ・マウがフランスの強力な支持を得て両方を統括した条約の作成を提唱し、最終的にアメリカ・スウェーデン両国の同意を得て1972年のユネスコ総会で世界遺産条約が採択されました。

その後、1978年の第2回世界遺産委員会で12件が初めて世界遺産リストに登録され、2019年1月現在、文化遺産845件、自然遺産209件、複合遺産38件の合計1092件が世界遺産リストに登録されています。

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